学びとは、自分とは違うモノの見方や答えの導き出し方を習得することである。

そしてそこにおいて大切なものは「抗い」と「謙虚」である。

「抗い」とは、自分の見方、答えの導き方を主張することである。(これはメタ認知と関係が深い)
これがないと、違うモノの見方や答えの導き出し方を深く理解することが困難になる。
この前生徒と話している時に出会った事例で紹介する。

自信についての対話
「『先生は自信を持て』と僕に言っていた。でも、この前ジブリの映画監督がNHKのプロフェッショナルで『自分に自信なんてない』と言っていた。どっちが正しいの?よく分からない。」

この前のそもそもオンラインの授業中に生徒が発言した言葉です。

この場合「自信を持つのは良いこと」が彼の今までの学びで得ていた情報です。
そして「自分に自信を持つのはよくないこと」がジブリの映画監督の主張です。
映画監督の主張はまさに新しいモノの見方と言えるでしょう。

ここで、彼がジブリの映画監督の主張だけを受け止めたらどうなるのでしょう?
「自分に自信を持つのはよくないことなんだな」で終わります。
これはただの知識の上書きであり、今までの知識が疎かにされています。
かつ、また違う知識が出たら、それに合わせて上書き保存するだけで、深まりません。
これは質の高い学びには繋がらない。
状況によって使いこなせない、バカの一つ覚えというやつである。


では、質の高い学びでは何が起きているのか?
その一つは自分の知識を主張(抗い)したいが故に、自分の主張の根拠を深堀することである。
「自信を持つのは良いのはなぜか?」それを発言した人の立場や、その人が言っていた場面を想定して考えていきます。


そして、もう一つが相手の主張に謙虚に向き合うことである。
「自分に自信を持つのはよくないこと」これについてもその映画監督がなぜそのような発言をしたのか、前後の文脈などを踏まえて仮説を立てます。

その中で、それぞれが自信という言葉を使っていても、それぞれが自信で何を表現しているか違うから、このような違いが生まれることに気づいていきます。これが僕は深い学びだと思います。

ただ、いろんな生徒みさせていただいて感じたことは、自分の持っている知識を根拠から含めて主張しようとする人が少ないんじゃないか?ということです。
自分が持っているものを提示してくれるだけで、学びが深まるのに、先生が期待している・親が期待しているものしか出してはだめだからと思っているのでしょうか?

もしくは先生・親自身が、自分たちが持っている答えに素早くたどり着くことを喜んでいるからでしょうか?

いずれにせよ、第一に「自分の知識」を主張して、抗ってくる子が少ないのはとても不思議に感じます。これがないと、バカの一つ覚えにどうしてもなってしまうと思うんです。
もちろん、実際に声をあげて主張しなくてもいいと思います。頭の中でその処理をやる人もいますし、ノートなどに書いて、その処理をやる人もいるでしょう。


ただ、自分は正しいということを主張する「抗う」人がとっても少ないんじゃんないか?と生徒と話していて感じます。

一応、そもそもオンラインでは自分の主張をするように促していますが。
そうしないと、自分も授業していても楽しくないですし、そんな依存的な人になってほしくないので。

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